アファメーションは無意識に任せる。
一つ前の記事で「力まないアファメーション」について紹介させていただきましたが、
やはりアファメーションでは自分のなりたい姿になる根拠や理由、方法をガチガチに具体的に記述する必要はないと思います。
アファメーションでしっかりとした断言をしていけば”自ずと”実現のための方法を探し出し、行動するからです。
野球がうまくなりたい子供が野球がよりうまくなる方法を自然に見つけたりできるのと同じですね。
やはりアファメーションの力に任せるところはしっかり任せることが大事です。
具体的な方法をガチガチに指定して力んだ文章になってしまうよりは、ゆとりを持たせて心が受け入れやすい、染み渡るようなアファメーション文がいいと思います。
その点で、「何がともあれ」のような脱力した前置きを前回紹介しましたが、他にも「自ずと」とかもいいと思います。
なぜ根拠や理由、方法をガチガチに決めなくてもいいかを考えると、、、
①何かの実現や変化を求めている場合
何かの実現や変化を求めている場合、理想を実現する方法が大事なのではなく、実現することが大事ですよね。
だから方法を決めつけなくてもいいわけです。
理想さえしっかり持っていれば右往左往、試行錯誤しながらでもその理想にたどり着くことができます。
②感情の変化を求めている場合
感情の変化を求めている場合、「幸せ」とか「楽しい」といった感情や、「運がいい」「できる」といった感情に根拠や理由は必要ないですよね?
いつもと同じような日でもなんとなく「幸せだなぁ」という気持ちになれればいいし、ちょっとしたことで不意に「ツイてる」って思えればいい。
同じ境遇に遭った時に「幸せ」と感じる人、「不幸」と感じる人、、、人によって様々な捉え方をしますよね。
出来事は同じでも、頭の中の考え方一つで「幸せ」にも「不幸」にもなる。
「幸せ」にも「不幸」にも確かな実体がある訳ではないのだから、もちろん根拠や理由なんてないんです。
だからこそ、その時に「幸せ」って思えるようなマインドを作っておければいいのだと思います。
とにかく、いろんな方法や理由で頭の中を固めてしまうと自分の中の想像力や成功に近づく力を縛りかねません。
だからこそ、とにかく心に染み入る、柔らかいアファメーションが大事なのだと思います。
以上が「アファメーションは無意識に任せる。」でした。
コメントをお待ちしております。